2010年5月23日、雲南省昆明市尋甸回族イ族自治県にある当協会支援第21校目「日中友好尋甸老村僑心小学校」の開校式が行われました。この学校では、教師8名のもと、イ族と漢族の児童146名が学んでいます。校舎は、協会会員の國武豊喜氏、蒲池真澄氏、並びに九州電力株式会社のご寄付と会員の皆様の会費によって建設されました。
写真:小学校の子どもたち
報告:渋谷陽さん(協会会員)
視野を広げて見れば遠方の頂上まで棚田続き、また下を覗くと、なんと谷川の付近まで猫の額のような畑が続く。そうした見渡す限り広がる赤土の風景で、十数人を乗せたワゴン車は上下に揺れ動きながら粉塵をまいて進む。今年は、旱魃ともいえる水不足とのことで、一層赤土の乾燥した風合いが目に入った。後席の会員さん曰く、「学校は、あの谷を降りて、山を上がった向こうになるよ」とのこと。遙か向こうに山並みが見える。文明を容易に寄せ付けないと思えるほどの質素な住居を何度か通り越し、ワゴン車は進んだ。
子どもたちとの出会いは、どこまでも赤褐色の地道が続く中で突然であった。
変わらぬ赤褐色の道に車は止まり、休憩でもするのかと思いつつ顔を上げると、建物は見えないものの、子どもたちが両側に並んで歓迎している様子が目に入った。私にとってこうした出会いは初めてで、これが開校式の始まりかと情感が少し高まる。「ニイハオ」と声をかけつつ、カメラを向け、子どもたちの頭をなでながら進んだ。子どもたちの懸命で素朴な眼差しと民族衣装の色彩が目に眩しい。中には質素な服装をしている子どもたちもいて、私の子どもの頃を思い出させ、余計に親しみが増した。背後には大人の方の重厚な顔、顔。たくさんの歓迎のまなざしの中校門をくぐると、すぐに白い2階建ての校舎とともに林立する古めかしい平屋の校舎が目に入り、当協会の支援の成果が了解できた。開式までは時間があったので、初体験の感動のままカメラを構え、整列している子どもたちの集まりの中に分けて入った。
今回の開校式ふれあいの旅への参加を決断した大きな理由は、雲南省の僻地の子どもたちの瞳―今、なかなか日本では見られないもの―に出会いたかったことだ。 子どもたちにはたらきかけながらふと思いつき、目線を合わせるために腰をかがめた。そして、言葉が通じない代わりに表情で伝えようと、ひょっとこのような顔をして近づいてみた。すると、その私の表情がどう写ったのか、1人の子どもが微笑み、更に伝染するかのように2人3人と周囲の子どもが笑い出した。これが以心伝心というものか。期待していた笑顔に出会い、大いに感激したひとときであった。
開校の式典は滞りなく終了。夕食後、暗くなると、いつの間にか民族衣装を身にまとった地元の人々が周りをぎっしり取り囲んでいて、歌と踊りの交流が始まった。動作に一定の型があるわけでもなく、アトランダムに子どもたちの輪の中に分け入っては、適当にステップを踏みながら、暗闇の中、子どもたちや地域の方々と楽しく過ごす。
お開きとなったのは、夜10時過ぎだったろうか。後ろに赤ん坊を背負ったお母さんを乗せ、単車で家路に急ぐ一家の姿が印象的であった。
その後、子どもたちが新校舎の教室にダンボールをしいて寝床を作ってくれた。まさかこの歳になって寝袋で寝る経験ができようとは! 中国の山奥で見るお月様は随分すっきりとした姿だった。
翌朝6時、起床の合図だと思われる学校のベルに目を覚ます。懐かしいベルの音。校門に集まる子どもたちのざわめきが聞こえる。教室のベランダから、色紙で作った紙飛行機を飛ばすと、子どもたちが我先にと取りに来た。何度か飛ばすうちに、先生が子どもたちに注意をする。「朝の掃除をしなさい」と言っているようだ。その先生は、私に会釈をしている。申し訳なく思い、紙飛行機を飛ばすのをやめた。子どもたちが今までに紙飛行機を見たことがあるかは知らない。
こうして始まった2日目、日常の授業風景を参観できたことは私にとって大変嬉しいことだった。3年生の英語の授業、低学年の中国語の勉強、そして新校舎の教室での算数の授業。子どもたちの目は先生や教具に集中していた。
また、校舎を見回っていて、「図書室」に出くわしたが、残念ながら施錠されていて中を見ることはできなかった。家で本を読む機会はおそらくないであろうから、絵本でも読み物でも、学校に子どもたちが手にとって読める本があればよいと思う。文字や本を読む環境は子どもの成長にとって大切である。朝、自由勉強をしているように、学校にいる間に少しでも本に触れる機会があればよい。
こうして、初めての開校式と教室に泊まった忘れがたい思い出を胸に、子どもたちや先生と「ザイチェン」の言葉を交わしながら、昆明への帰路へ着いたのだった。
【写真提供】平田栄一さん、佐々木英介さん(ともに協会会員)