Home > 50の小学校プロジェクト > 第20校目「日中友好后山良洋小学校」開校式
写真中央の白い建物が日中友好后山良洋小学校の校舎
学校は山頂にあり、周りには民家や畑がある

 2009年6月29日に、雲南省麗江市郊外にある支援第20校目「后山良洋小学校」の開校式が行われた。この学校には、教師7名がおり、ナシ族の児童98名が学んでいる。当協会名古屋支部の近藤釼一支部長(会員)の寄附、協会会員の会費・寄付によって建設された。

 2009年6月29日、朝8時半、ツアー参加者はバスに乗り込み、小学校に向けて出発。しかし道半ばにしてバスは停車し、運転手の判断により全員降ろされてしまった。運転手曰く「雨季で道路はぬかるみ、道幅が狭いため、このバスではこの先に行けない」とのことだった。雲南支部のスタッフによれば「雲南省では旅行会社の人よりも、バスの運転手の方が道路状況に詳しいので偉いんですよ」とのこと。
 しばらくして数台のジープが到着。ツアー参加者は5台のジープに分乗。政府関係者の2台と合わせて、計7台のジープが数珠つなぎとなり、現地を目指した。しばらくすると舗装された道を外れ、雲南省特有の真っ赤な土と石がむき出しとなった道を走り始めた。悪路のため、車の揺れはひどい。油断をしていると、窓ガラスや天井に頭をぶつけた。道幅は狭くなり、追い越しやすれ違いができないほど。20人乗りのバスで、この砂利道を走る苛酷さは、想像に難くない。バスの運転手さんの判断は正しかったようだ。

散歩中の牛とすれ違うジープの列
学校の周りには畑が広がる

   出発から4時間経った午前12時半、目的地の小学校に到着。この小学校は標高2400メートルの麗江から800メートル高い、標高3200メートルの山の頂上付近にある学校。車を降りてしばらくすると、肌に当たる日差しの強さを感じた。
 道中、バスからジープに乗り替えたり、ナシ族の葬儀の列にぶつかったりと、さまざまな要因により、到着時刻が遅れた。しかし学校に到着したとき、校門前に子どもたちがずらりと整列し、待ちくたびれた表情などせず、元気よく歓迎の歌を歌い、訪問を祝ってくれた。

旧校舎
旧校舎で勉強する子供たち

 校門をくぐると、真っ白な校舎が目に入った。2階建てのビルのような形をしているが、屋上には瓦が乗っかっている。あたりの建物を見れば、どれも瓦が乗った建物ばかり。この地方の習慣なのだろう。
 子どもたちは開校式を迎えるまで、この新しい校舎を使わずに、真向かいにある旧校舎で授業を受けていた。旧校舎の軒先の屋根は長年雨風にさらされたせいか、トタンが垂れ下がっている。教室内には照明がなく、明かりは窓から太陽光が差し込むのみ。昼間でも薄暗く、教室の天井は幾枚か抜け落ちており、割れた窓ガラスには紙が貼り付けられている。教室では子どもたちが勉強していた。ナシ族特有の柔らかな眼は、きらきらと輝いていた。

   開校式が始まると、子どもたちは校舎に向かって立ち、真剣な表情で式を見守った。協会関係者や麗江市政府関係者らは、真新しい校舎の前に設けられた来賓席に着いた。

 子どもたちを代表して女子児童が挨拶。「明るくて安全な校舎で勉強することができるようになり、全校生徒を代表して心からお礼を申し上げます。私たちはこんな山の中に住んでいますが、勉強する意欲はどこの子どもたちにも負けません。これからもっと勉強して支援してくださった方々に恩返しができるよう頑張ります」
 続いて校長、地元政府関係者、当協会の初鹿野惠蘭理事長らが挨拶。最後に近藤釼一氏が挨拶し、「この新しい校舎で思い切り勉強して下さいね」と激励。近藤氏は「麗江ナシ族友好協会(*1)」の元代表であった故・伊東良洋氏の遺志を胸に、この開校式に臨んでいた。伊東氏は「麗江市玉龍県の小学校建設支援をしたい」と考えていたからだ。故人は遺影を通して開校式の様子を眺めていたことと思う。
(*1:雲南省麗江市のナシ族の子どもたちへの教育支援活動をしていた団体。伊東氏の逝去に伴い解散)

 その後、子どもたち一人ひとりにボールや鉛筆・消しゴムなどのプレゼントを手渡して、全校児童と関係者を集めて記念撮影を行い、開校式は終了した。
 開校式終了後は昼食の準備の傍ら、校庭ではナシ族の民族衣装「七星羊皮」という背当てを身に付けた女性たちが集まり、大きな輪になって踊った。
 昼食を取った後、ツアー参加者は各々、児童や先生たちと交流を深めた。10周年記念DVD撮影隊は、校舎の様子や教員・初鹿野理事長のインタビューを撮影するなどした。しばらくすると雨が降り出したため、この地を後にすることとなった。この訪問が、新しい校舎が、子どもたちに良い影響を与えたらと思う。

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