Home > 25の小さな夢基金 > 縁起 はじまりの物語

 惠蘭理事長との出会いは2011年に遡ります。日本に来たばかりの頃に参加した日本語スピーチ大会の審査員が惠蘭さんでした。当時の私は、一体どんな方だろう、何とお呼びすれば良いのだろうと思ったことを覚えています。

 その後の交流の中で、昆明出身の惠蘭理事長は留学のため来られてその後ご縁があって日本の方と結婚して初鹿野姓になられたのだと知りました。1996年の麗江大地震で、雲南の貧困地区を救いたいという思いを抱き立ち上げられた日本雲南聯聯誼協会は、日本の皆様の愛情とご支援を雲南の教育事業に注いでくれています。

日比谷で行われたグローバルフェスタにボランティアで参加

 感銘を受けた私は、東京で協会の活動に参加してみました。惠蘭理事長に比べたら微々たる力ですが、とても充実している実感がありました。「誰かを照らすことは、自分を照らすこと」、惠蘭理事長の言葉の通りです。いつか私も惠蘭理事長のように、みんなを明るく照らせる人になりたいと思うようになりました。

前列 左

 大学院を卒業後は日本で就職して会社員生活を送り、その後故郷の上海に戻って人材育成関連の仕事に就きました。「人」は企業にとって最大の資源であり、社会発展の基礎となるものだと思います。私は仕事が大好きで、お客様に認めていただけたり、育成した方の成長に刺激を受けました。そして2019年に独立し、「菲諾」という人材育成会社を設立しました。「どんな小さな約束でも必ず実行する」という理念で、顧客企業の皆様に価値有るトレーニングとサービスを提供しています。また、私はこの間に二人の子供の母にもなりました。子どもたちの成長の中でも教育の大切さを感じ、雲南の子どもたちのあの知識を求める澄んだ眼差しを思い出しました。

 そんな思いを持って、私はまた日本雲南聯誼協会を探し、惠蘭理事長に連絡を取りました。迷わず会員になり、21の夢基金のサポーターとして10名の春蕾生の支援をしています。私の小さな応援が春蕾たちに温もりを与え、中国の子どもたちが世界に羽ばたき豊かな人生を送ることを願っています。

 一人の小さな力では世界を変えることはできないかもしれませんが、私にも、子どもたちにも、仕事の仲間たちにも力になっています。惠蘭理事長ありがとう。長年のご努力も、協会をずっと続けていてくれていることも、とても感謝しています。こんな平凡な私でも、一筋の光として世界を照らすことができています。

上海にて 李劼

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