「25の小さな夢基金」第2回支援金贈呈式実施
恒例の2017年「ふれあいの旅」が6月29日から7月6日にかけて行なわれました。旅のハイライトは『25の小さな夢基金』第9期生卒業式へ参列と夢基金第4期生で今や一児の母となった劉慧娟(リュウ・ホイジェン)さんの故郷、怒江(ヌージャン)最北部の集落、秋那桶(シュウナトン)を訪問する行程でした。今回参加者は会員15名、協会事務局より3名が参加、涙の卒業式に感動し、怒江では支援第4校を10年ぶりに訪問し感激の対面や、現地の人々のあたたかいおもてなしに心暖まる、楽しい旅となりました。
少数民族に関する勉強会と雲南省僑務弁公室との懇親会
昆明に到着翌日6月30日、今回訪問する怒江リス族自治州に暮らすリス族について勉強会を開催しました。雲南大学日本語学科の張麗花教授のお力添えを得て、雲南民族大学大学院で民族学を研究する李豊元氏を講師に迎え、リス族の生活文化を記録した貴重な写真を拝見しながら丁寧な解説を拝聴し、リス族に関する見識を多いに深めることができました。
また勉強会後は協会を長年に渡り支援していただいている雲南省僑務弁公室による夕食会が開かれました。
「小さな夢基金」第9期生の卒業式開催。
7月1日、春蕾クラス卒業式が開かれ、今年は96名がめでたく卒業しました。今年も優秀な卒業生が多く、卒業寸前の6月中頃に実施された“高考”(大学全国統一試験)では、今年度卒業生のうち総得点613点を筆頭に3名の生徒が600点を越える成績を残しました。
元春蕾生の故郷、“雲南最後の秘境”を訪ねて
7月2日早朝、ようやく白みかけた昆明を後に、“雲南最後の秘境”と呼ばれる秋那桶へ向けて出発。まずは中継地の保山(バオシャン)を目指します。保山は昆明から南西へおよそ500km。1時間足らずの空の旅を終え、午前9時過ぎに保山空港に到着。ここでマイクロバスに乗り換え、ただひたすら怒江に沿って北上です。2003年に当地を訪問したことのある理事長、小澤顧問によると道路は格段に良くなっているとのことで、滔々と流れる怒江の茶色い水面を眺めながら、なかなかに快適なドライブでした。
六庫(リュウク)、泸水(ルスイ)と過ぎ、中核集落の福貢(フウゴン)に至ったのは午後2時を過ぎていたでしょうか、ここまで保山から約300km。2003年に支援した「日中藤誼僑愛小学校」(支援第4校)の校長先生、県政府関係者が10年ぶりの再会を喜んでくれました。この10年間に学校規模が拡大し、当初2階建てで再建された校舎は4階建てに増築され、福貢県の中心小学校としてますます大きな役割を担っています。
福貢で国道は怒江を跨いで左岸に移ります。このあたりから怒江の川幅が急速に狭くなり、怒江の表情が変わります。穏やかだった川面が随所で牙を剥き出し、凄まじい轟音とともに怒濤となって流れ下っています。その表情はまさしく“怒りの川”の名前の通りでした。
怒江の荒れ狂う流れを時に真横に、時に遥か足下に見ながら、流れのままに右に左に蛇行する渓谷をまたまたひたすら北上。宿泊地の貢山(ゴンシャン)に到着したのは午後11時を過ぎていました。保山を出発してほぼ13時間。怒江の荒々しさに驚き、流域に暮らす人々の困難さを実感した長旅でした。
当時若干16歳の劉慧娟さんはたった一人でこの道をバスに揺られ、3日かけて昆明の女子中学へ通ったと言います。当時の彼女の心中はいかばかりだったのでしょうか――想像すると胸が熱くなりました。
7月3日丙中洛郷の高台にあるホテルにて、肚に沁み入るような怒江の響きで朝を迎えました。小雨が降る中、農民市場の一角にある食堂に行き、蒸したてホカホカの小籠包を堪能した後、最終目的地である劉慧娟さんの故郷、そして協会が2005年に支援した「日中秋那桶僑心小学校」(支援第6校)を目指して出発。秋那桶はここから怒江をさらに3時間程北上しなければなりません。
貢山を抜けると車の往来は極端に少なくなり、断崖を削った車1台がようやく通れる程度の道を右に左に、時折上下に揺られながら怒江を遡っていきました。ところどころで新しい道路の造成工事が進んでいました。チベットへ至る新高速国道が計画され、来年秋には大理から8時間で往来できるようになるそうです。中国政府が推進する21世紀のシルクロード、「一帯一路」の一翼を担う道路のようです。怒江流域の人々は将来の経済発展に大きな期待を抱いています。
貢山を出発して約2時間。小さな集落の狭い路地の突き当たりに、「日中秋那桶僑心小学校」がありました。 校庭の一角に2005年の開校に併せて設置された記念の碑文がしっかりと残されていました。校長先生の説明によると、協会が校舎を再建して以来、毎年400人近い子どもたちがここで学び、巣立って行きました。その中に劉慧娟さんと楊娟さんと、そして、現在もう一人、春蕾生になっている女子がいました。理事長、小澤顧問は10年ぶりに訪れた校舎を目の前にして、暫し感慨無量の様子でした。校舎は目下リフォーム工事の真っ最中で、校庭は建築資材で占領されていましたが、来年秋には1年生と就学前児童の約100名と5人の先生が寄宿する新しい学校として再利用されるとのことでした。
秋那桶小学校の現状を視察した後、怒江をさらに1時間程北上。ついに劉慧娟さんの故郷、秋那桶の集落に辿り着きました。昆明を出てほぼ2日。とてつもなく長い道のりでした。劉さんの実家の門をくぐると両親、弟、そして劉さんの1歳半になる愛娘、索菲娅(ソフィア:キリスト教の洗礼名で「聡明」の意味)ちゃんが笑顔で出迎えてくれました。門をくぐると右手に民宿用の真新しい2階建ての建物があり、左手には風通しの良さそうな平屋の大食堂、その先に台所と母屋がありました。いずれもヌー族特有の木造建築です。台所を覗いてみると、土間に切られた囲炉裏、使い込まれた鉄のやかん、長い年月燻されて真っ黒になった天井と壁、小さな窓から差し込む柔らか光、都市生活者の目にはどことなく心安らぐ空間がありました。劉さんによれば、昆明や省外から“秘境”に憧れて秋那桶を訪ねてくるお客さんが連日のようにあるそうで、われわれが訪問した数日前まで香港の大学生グループが宿泊していたそうです。
昼食後、劉さんの家から山道を50mほど登った楊娟さんの実家を訪問。急斜面を登った先に、台所と家畜飼育舎を兼ねた小屋と老夫婦用と若夫婦用の小屋が並んでいました。台所がある小屋の脇に立つと秋那桶の集落と貢山山系の山々が目にも鮮やかに飛び込んできました。都会の便利さとは無縁の集落ですが、大自然に囲まれたなんとも贅沢な場所です。 楊さんの実家から戻ると、劉さんが水車小屋へ行くと言う。集落を少し下ったところに怒江に流れ込む小川があって、そこに集落共同の粉挽き小屋があるのだそうです。興味津々付いて行くと小さな掘建て小屋がありました。普段は塞き止められている水路に小川の流れを引き入れると、小屋の真下に設置されている水車が音をたてて回り始め、小屋の中の大きな石臼がゆっくりと回転し始めました。ヌー族の民族衣装を着た劉さんが石臼の側に腰を下ろし、回り始めた石臼にトウモロコシの実を一掴み、また一掴みと流し込みながら、ヌー族の歌を楽しげに唱っていました。畑の行き帰りで唱い、鍬を打ち下ろしては唱い、酒を飲んでは唱い、男女が出会っては唱い、ヌー族の人々にとって唱うことは生活の一部のようです
夕飯にトウモロコシの粉を練ったものが供されました。日本の“蕎麦がき”を連想させる、ヌー族の伝統的な農家料理だそうです。供される料理はいずれも豪華さはありませんが、材料はすべて自家栽培か山の幸ばかり。秋那桶には、自給自足に近い質素で飾らない生活がありました。
“雲南最後の秘境”は聞きしに勝る僻地でした。今回の「ふれあいの旅」で見えてきたのは、雲南最北の秋那桶も少しずつ開発が進み、都市化の波に飲み込まれつつある姿でした。変貌を遂げつつある辺境の地にあって、昆明で高校、大学と学び一児の母となった劉慧娟さんは「このままでよいのだろうか、子供の教育や将来を考えると都会へ出たいと思うときがある」と胸の内を明かしてくれました。容易に答えを見いだせない難問を突きつけられた思いがしました。
【ふれあいの旅参加者(敬称略・順不同)】 佐々木英介、久継智弘 、平田栄一、佐伯義博、濱津義男、宮本博行、王寧、沈東毅、廖海波、初鹿野惠蘭、滝澤崇、小澤文穂、李珂、劉慧娟 【現地協力(順不同)】 雲南省僑務弁公室、雲南省統戦部、雲南海外聯誼会、雲南民族文化研究会、雲南省領導科学研究会、怒江リス族自治州統戦部、怒江貢山県統戦部、怒江福貢県統戦部、昆明市議会、昆明市政協、昆明市西山区蒲公英社会総合服務中心、昆明市女子中学、雲南大学外国語学院、雲南財経大学、雲南大学滇池学院、昆明理工大学、雲南人家文化産業集団、天卓教育、昆明飯店、劉慧娟さんご家族、秋那桶村の皆さん、平田栄一、丁美蘭、徐芸、宋東昇、陳麒後、龔艶玲 |